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教科書とツナサンドの間から戻って参りました
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7月の中旬は曖昧だと思う。期末テストが終わって気は緩み、かといって楽しい夏休みが始まるまでにはほんの少し間がある、そんな季節。
どことなく締まりのない雰囲気の中、ひとり張り切っているのはもちろん夏の太陽だけ。でも、産まれる暑さはさらにやる気を奪い、人間はだらんと伸びてしまうのだ。
ぼうっとした頭でそんなことを考えていたら、床に転がったチェシャ猫に呼びかけられた。アリス。緩んだ空気がそのまま音になったような声だ。

「なぁに」

応じたわたしの声も、負けず劣らず間延びしていた。全く眠くなんかないけれど、これでは朝の半覚醒状態のようだ。しかし、一向に頭がすっきり冴える気配はない。

「今の君はアイスクリームにそっくりだね、アリス」
「アイス?」
「とろけたアイスだよ」

そういえば『アイス』と『アリス』は似ているね、とチェシャ猫は付け足した。確かにごろりとだらしなく横になったわたしは、溶けたアイスの成れの果てに似ているのかもしれない。これじゃいけないな、と考えてわたしは体を起こし、居住まいを正した。

「これで『アリス』ね」
「そうだね、僕らのアリス」

チェシャ猫は満足そうにごろごろと喉を鳴らした。何に満足したのか、そもそも満足しているのかは分からないけれど。
チェシャ猫の感情を読むのはちょっと難しい。顔を隠すフードから覗く大きな口はどんな時もにんまりしているし、話し方もいつだってのんびりした調子だからだ。だけど、一緒に暮らすようになってからは彼の感情をかなり細かいところまで読めるようになった……と思う。たぶん。試しに今の気持ちを考えてみよう。

「チェシャ猫」
「なんだい、アリス」

問いかけの方向がさっきと逆になったな、と思いながら、わたしはチェシャ猫をじっと見つめた。

「えーと……暑い?」
「そうでもないよ」

チェシャ猫は、ゆさゆさと小刻みに揺れながら答えた。ノーの印に首を横に振りたかったのだろうけど、首だけの彼には少し難しいようだ。

「そのフード、暑くないの?」
「うん」
「ふぅん。わたしだったら、暑くて被ってられないだろうな」
「アリスには、ぼくが暑そうに見えるのかい」
「だってそのフード、通気性悪そうなんだもの。外したら涼しげになると思うんだけど……」
「めくってみるかい」
「え?」
「僕らのアリス、君が望むなら構わないよ」
「い、いい。やめとく」

前のと同じ嫌な予感がして、わたしはその申し出を慌てて断った。そう、と応えたチェシャ猫は、ほっとしているような、残念そうなような、それとももっと別な何かを考えているような。ほら、やっぱりチェシャ猫の気持ちをはかるのは難しいんだ。
わたしは立ち上がって、伸びをした。

「どこに行くんだい」
「台所に、アイス取りに行ってくるの。チェシャ猫にも持ってきてあげるね」

昨日、おばあちゃんがメロンの形をしたアイスを買ってきてくれた。きっとチェシャ猫は気に入ってくれるはずだ。わたしはタオルにくるまれたメロンを思い出して、少し笑った。

(そういえば、チェシャ猫が食べたものはどこに行くのかな)

ふと湧いたそんな疑問は、後ろ手に閉めたドアの中に置いていくことにした。
もうすぐ夏休みがやってくる。
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「ヒーローっていいよな」
「はぁ?」

それは、午後四時のファーストフード店でノートにこぼしたコーラのシミを眺めながら言うには唐突過ぎる台詞だった。
こいつと二人で壁際の席に座ったのが十五分前、こいつが紙コップのコーラを英語のノートにぶちまけたのが二分前、それからこの意味不明な発言。
あまりの呑気さに、私は呆れて溜め息をついた。もし私のノートにも被害が及んでいたら、一発くらい殴っていたかもしれない。

「……下らないこと言ってる場合じゃないでしょ。どうすんの、その使いものにならないノート」
「やっちまったもんは仕方ない。潔く諦めるのが男だ」
「テストを諦める潔さなんていりません」

褒められない自信を振りかざすこいつを無視して、びしょ濡れになったノートをなんとかならないかと取り上げてみる。落書きに埋もれる中に辛うじて書いてある板書の写しは、甘い匂いのする黒と溶けた水性インクの青でまだらになっていた。

「あー、だめ。完璧に再起不能ね」
「どうせ落書きしかないけどな」
「それでも一応要点は書いてあったじゃない。というか私が書かせたんだけど」

例のごとく居眠りしてるこいつを叩き起こしてノートをとらせるの、結構大変だったのに。
恨みを込めた視線を送ると、こいつはわざとらしくメガネを押し上げた。バカのくせにやたらその仕草が似合うのが腹立たしい。……そういうの偏見だって分かってるけど。

「しょうがないな、とりあえず私の写しときなよ」
「ああ、でも面倒だしいいや」
「いいから写しなさい。提出のときどうするつもりよ」

鞄から私のノート(板書は勿論、先生の話すちょっとした豆知識まで網羅した自信作)を出して渡すと、こいつはしぶしぶそれをルーズリーフに書き写しだす。面倒なのは分かるけど、せめてアンダーラインくらい色ペンを使いなさい。

「……でもやっぱさあ、ヒーローっていいよな」

あー、とか、かったるい、とか呻きながらも大人しく作業を続けていると思ったらもう飽きたらしく、またこいつは訳の分からない話を蒸し返してきた。シャーペンを器用にくるくる回し、視線はどこか空を見ている。私は銀色の人工衛星みたいに回るシャーペンから目を逸らして、テキストの英文に集中した。

「……俺の話聞いてる?」
「聞いてない」

コンマ二秒で即答した。
あいにく私は英語の問題で手一杯で、下らない話に付き合う暇はない。しかし冷たい反応にも構わず、こいつの子供じみた理想論は尚も語り続けられた。

「いいじゃんヒーロー。強くて格好いい正義の味方」
「悪いけど、筋肉バカは嫌いよ」
「バカでもさ、周りの人が守れる奴って格好いいと思う」

いつも怠そうでへらへらしている声が、その時はほんの少しだけ真面目、な気がした。私はテキストに並ぶ英文の連なりに目を滑らせた後、顔を上げた。

「それに、ヒーローなら学歴関係ないしなー」

……ああ、きりっとした真面目な顔なんて期待しなければ良かった。そこにあるのはいつもと変わらないのんびりとした表情──そう、気の抜けたコーラみたいな。

「そんなにヒーローになりたいなら、私のヒーローになりなさいよ」
「なに、大胆発言?」
「そーね。まずは私と同じ大学に行って貰おうかな。だからしっかり勉強しなさいよ」
「……まあ、努力はしてみる。明日から」
「今やりなさい」

テキストをずいと突き付けると、反発しあう磁石のように仰け反る体。どれだけ勉強を拒否しているのやら。
なんて先行き不安、そして見捨てきれない自分に呆れる。本日二回目の溜め息を吐きながら机の上に目を向けると、コーラに沈んだ仮定法が笑っていた。
おばさまに言いつけられた買い物を済ませた帰り、私は小さなサーカスを見つけた。
路地の端に、ちょうど私の頭くらいのテントがちょこんと座っていた。てっぺんに金色の星を飾った、クリスマスツリーみたいなサーカスのテントがひとつ。なんでこんなところに、なんて考えるのはやめた。見習いとはいえ魔女だもの、この程度で驚いていては務まらない。──そう思った直後に、私は情けない悲鳴を上げてしまった。いきなりテントがすっくと立ち上がり、私に声をかけたのだ。立ち上がった姿はなんというか、まさに『テントを頭に被った派手な人』だった。テントからは色とりどりの垂れ幕が幾つも下がっていて、胴体がすっぽり隠れている。

「Bonjour,mademoiselle」

明朗で滑らかな声が発した言葉は外国のものだったけれど、簡単な単語だから私にも意味は分かった。こんにちは、お嬢さん。なんてことない挨拶、それでもマドモワゼルなんて呼ばれるのは少し気恥ずかしかった。
ちなみに、私はこの時既に歩いて喋るテントという存在に慣れきっていた。もっと不思議な人にも会ったことがあるし、そういえばこの人に会うのも初めてではない、ような。

「申し訳ない、どうやら驚かせてしまったようですね」

まあ驚きを与えるのが私の仕事なのですがね、と付け加えながら、その人は右腕を真っ直ぐこちらに差し出すと、人差し指と親指をこすり合わせ始めた。
そして、短い三拍子──アン、ドゥ、トロワ──の合図でポンと軽い音がして、なんと彼の手の中にきれいな花が咲いていた。

「どうぞ、お嬢さん」

そう言って、親しげな仕草で彼は花を私にくれた。ああ、やっぱり会ったことがある人なのかもしれない。名前がちっとも浮かばないけど、かといって「あなたは誰ですか?」と尋ねるのも失礼だと思う。一人前の魔女は礼儀もわきまえなければいけないんだから。
受け取った花は造花でない本物だった。ふんわり漂う、いい香り。

「ありがとう」
「いいえ。こんなものでいいならいくらでも」

一輪では少し寂しいですか、と彼は首を傾げ(テントから下がる垂れ幕が揺れたけど、そこに隠れた胴体はやはり見えなかった)、ポケットからキャンディを取り出すかのような気軽さでぽんぽんと花を出しては私にプレゼントしてくれた。その手際の鮮やかなことは手品というより本物の魔法のよう。
やがて私の手いっぱいの花束が出来上がる。

「素敵!魔法使いみたいね!」
「ただの奇術ですよ。魔法のように思えても結局はタネがあるのですから」
「でもやっぱりすごいわ。何もない場所から物を出すのって魔法でも難しいんだから」
「こんな風に?」

にゃあ、という間の抜けた鳴き声に一瞬遅れて、彼は垂れ幕の中から艶やかな毛をした黒い猫を取り出した。確かにあの幕なら猫一匹隠せたっておかしくはない。だけど、猫はどうやってあの中に収まっていたのだろう?彼の体にずっとしがみついているか、さもなくば宙に浮くか。恐る恐る彼の腕の中で大人しく抱かれている黒猫に顔を近付けてみると、あくびをしているその小さな動物は確かに生きていた。

「……これじゃあ手品じゃなくて、本物の魔法だわ」
「残念ですがこれも奇術ですよ、お嬢さん」
「じゃあタネを教えてよ。こんなこと、魔法じゃなければできっこないもん」
「いいえ、それは出来ません。仕掛けが秘密だからこそ、奇術は魔法の近くにいることが出来るのです。タネの明かされた奇術など、灰色の傘に覆われた晴天のようなものですよ」
「つまんないの。……でも、可愛い猫ね。手品で出すならうさぎの方がいい気もするけど」
「私はうさぎアレルギーなんですよ、お嬢さん」
「嘘でしょう」
「ええ嘘です。魔女の使い魔なら、やはり黒猫だと思いましてね」

その時、眠たそうに話を聞いていた猫が不意に彼の腕から逃れ、ととと、と歩いてどこかへ行ってしまった。曲がり角を右へ、そのまま建物の影へ。昼下がりの光の隙間に黒い猫が溶けるのを二人で見送ってから、私達は話を続けた。

「私が魔女だって知っていたの?」
「まだ見習いだということもね。ほら、あなたとは散々魔法の話をしていたじゃありませんか。さっきも、先のパーティーで会ったときにも」

それは勿論そうだった。あのパーティーに出席した人なら、私が魔女(見習い)だということはみんな知っている。それでも、不思議なことに私には彼と親しく会話をした覚えが全くなかった。

「ああ、あなたは覚えてはいないでしょうが、構わないのです。少女の記憶は日々塗り替えられてこそ、まるでソーダ水に沈む哲学書のようにね」

彼は別段気分を害した様子もなくそう言い、弁解をしようと開きかけた私の口を人差し指で制した。

「ただ、私はあなたの願いを叶えに来たのです」

ちょっと鼻にかかるような、それでいて流暢な発音(きっと彼の母国語)で、その名前は口にされた。懐かしい、私の妹の名前だった。

「ロッテちゃんに会ったの?いつ?どこで?」
「つい最近、とても豪華なパーティー会場で。私がちょっと派手にタップダンスを演じてもまだ負ける程の立派なパーティーでしたよ」
「……ロッテちゃんは、何か言っていた?」
「『姉さんにもあなたの奇術を見せてあげたい』と。そして、『姉さんに会いたい』とも」
「そう……」

それでこの人は私のところへ来たんだ。妹の望み通り、私に奇術を見せる為に。でも、彼の魔法に似た奇術はそれでも、もう一つの望みは叶えてくれないのだろう。タネのない手品は魔法。不可能を可能にする奇跡が魔法。

「お嬢さん」

彼は膝を折って屈み込み、(彼の瞳は見えなかったけれど)私に視線を合わせて、改まった調子でそう言った。ねえ、これは秘中の秘、内緒のお話ですけれども。

「あなたの言う通り、私にも魔法が使えるんですよ。余り使うことはありませんがね」

彼はまた始めのようにすっくと立ち上がると、私によく見ているように、と注意を促した。そしてテントから下がった色とりどりの垂れ幕をつまむと、そっと捲って中を見せてくれた。
不思議な光景だった。
垂れ幕から伸びた長い手足と同じ青いスーツを纏った胴体──ではなく、そこにはよく磨かれたガラス、それも白い枠のついた窓のようなものが体の代わりにはまっていた。そこから見える景色は青空で、鳥の形をした雲がふわふわ浮かんでいる。
そしてそこには私によく似た女の子が立っていた。そっくりだけど私とは違う瞳の色をした女の子が。

「ロッテちゃん?」

私は思わず窓に手を当て、そう呼びかけた。するとガラスの向こうの妹も同じ仕草で私に何か呼びかけてきた。私がガラスを叩けば、彼女も同じ手でこんこんと窓を叩く。まるで鏡に映った像のよう──というよりは、実際それは単なる鏡のようだった。

「この窓に映っているのは、紛れもない本物のロッテさんですよ」

私の心中を察したかのように彼はそう言い、幕を下ろした。こちらを見ていた妹──(それとも、私?)は、さっと色鮮やかな布に覆い隠されてしまう。

「彼女は遠い場所にいます」
「どこにいるの?」
「遠い遠いところに。私にもよく分からないのです。出来るのはほんの少し繋ぐことだけで」

彼があまりにすまなそうなので、私はそれ以上何も訊かなかった。ロッテちゃんの姿を見られただけでも私には十分だったから。

「見せてくれてありがとう。ロッテちゃん、元気そうだったわ。それに、どこかにいるならきっといつか会えるものね」

そう言うと彼はちょっと困ったような妙な声で、だといいですね、と答えた。

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